THE BEST GUY


坂井三郎
さかいさぶろう

1916年に佐賀県に
生まれる。零戦を駆
って太平洋戦争の最
後まで大空で活躍。
200回以上の空戦
で敵機大小64機を
撃墜したエース(撃
墜王)。

空白のファイターパイロットたちは、熱き憧れを胸に秘め

「大空のサムライ」坂井三郎氏を迎えた。

零戦のエースはすでに80歳、

しかしエースの精神は未だ健在。

戦闘機を見つめる眼差しは少年そのもの。

空をかける男たちの熱き交流、

その笑顔、その精神はさわやかな風であった。


空中戦の昔と現代

−零戦の当時の戦い方と今のジェット機の戦い方は違うのでしょうか。

坂井  昔から戦闘機の世界では5機落とせばエースという称号をいただけるんです。本当に真剣勝負で向こうも吹っ飛ぶ、 こちらも吹っ飛ぶ、その吹っ飛びながらの戦いで1機落とすことは、本当に難しい、当たらない。たとえれば、走り ながら糸を縫い針に1発で通すぐらい難しい。”こんなことで大丈夫か”と思うくらい弾が当たらない。初心者の頃 どうしてあれを5機、10機と落とせるのだろう、”神業かな”と思いました。

 零戦と言うとすぐ格闘戦というイメージですが、これは誤りで、格闘戦というのは、自分が不利になった時に相手 の弾を当てさせないようにするためのマイナスの戦いです。対戦闘機の空中戦闘は先に発見して敵の後方に早く潜り 込んでいく。お互い動き始めたら弾は当たらない。その代わり自分がそれをやられた場合には格闘戦に持っていく。 ひねり込みだのと言いますが、全部マイナスの技術です。決してプラスの技術じゃない。

 真剣勝負は先手必勝、敵に先んじて敵機の動向を感知し、接敵する。相手は何でやられたのかわからない。私に落 とされていった60%ぐらいのパイロットは、いつ付けられていつ落とされたかわからなかったと思います。私は格 闘戦でほとんど落としてません。ただし零戦には”格闘戦、最後にはこれに巻き込めば当てさせないよ”という能カ はありました。それを大抵の方がすぐ格闘戦に巻き込んで、と戦記で記述する。自分が失敗した証拠なんですけどね。

 太平洋戦争を前に、今までの経験と、”いかにして敵を早く発見するか”を自分の戦力にしようと、とことんまで 視力を鍛えて、最後には昼間の星を見るところまでやりました。その結果、相手にした敵のパイロットから、ただの 1回といえども先に発見されて付けられたことはありません。必ず自分が早く発見してうまく味方機を誘導して、最 初の一撃目で半分以上落としている。二撃目からは乱戦となる。こうなったらなかなか弾は命中してくれない。

柳原  それが要するに編隊を率いて。6O’CLOCK HIGH(6オクロックハイ)にジワジワと上がっていく、あ の動きになるわけですか?

坂井  そうです。そうして予想空戦エリアに入ったら常にCHECK6’前を1見て後ろを9見る。腹話術の人形みたい に首が回る訓練、それから腰も回す訓練、パラシュートなんか持っていったらバンドでかしめられるから”そんなも の要らねえ”って(笑)。


F-15パイロット 柳原3佐
柳原  F−15でも基本的に戦い方は変わりません。ただし、ウェポンが違います。長射程で見えないところから始 まっている。ですから、現実的な動きは違ってくる。考え方は、一撃離脱。優位なところに占位し、そこからぶち込 んだらそのまま一撃で離脱。自分から格闘戦に持ち込むことは、絶対にしない。お互いに鎬を削って相手にぶち込み ながら行っている時に近距離になって見える範囲内で動き始めたら、何とか格闘戦でそこから落として離脱するなり、 落とせなくてもそこから離脱するために格闘戦ということはあります。レーダ−とミサイルがありますから、かつて 坂井氏が零戦で実施した、目で見でずっと追いかけながら、あと1周、もう1周回ってもっと6’OCLOCK H IGHに上がっていく、という動きは、なかなかとれない。我々が見るのと同時に向こうも見ている。そこで相手が レーダーから得られる我々の情報を何とか騙しながら、状況によったら相手のレーダーをごまかしてしまう機動をし て、懐に飛び込んでいく。まずロングレンジのレーダーミサイル、格闘戦に近づいてくるにつれて格闘戦用の赤外線 ミサイルを使って十分攻撃できます。

坂井  赤外線のホーミング装置がついたミサイルからは逃れられませんか。

柳原  逃れられます。最終的に使用するのはガンになると思います。

池添  私はF−1ですが、考え方は一緒です。ただ、どうしても地上からの情報、空中からの情報で見えなくてもお互い に相手がどこかがわかります。こちらが逃げたら向こうも逃げる、来たら来るということを頭の中で描いている。ど うしても落としにいく場合には、同じような状況なので、発見というのは同じような状況で起こります。

 兵器は、F−15とかF−4のような長い射程のものがなく、距離の短いミサイルしか持ってません。だから懐に 飛び込んでいかなければ撃てない。最終的には目の発見でいい位置を取ることが重要になってくる。そのため、どう しても格闘戦に入らざるを得ない状況が出てくる。本当は向こうが気付かないところで攻撃するのがベストだと思い ます。F−1は後ろが見にくい構造ですから、お互い2機でどのような連係をしてCHECK6をカバーし、いかに 2機で1機を落とすか、といったようなことを主体に訓練してます。

宮原 F−4でも原則はやはり、相手がわからないうちに相手をやってしまう、先手必勝。これが一番基本的でオー ソドックスであり、本当の基本の戦い方だと思います。そういう教えられ方もしていますし、最初に言われた”格闘 戦はマイナスのやり方だと、格闘戦をやらずにやるほうが利口なやり方であり、それが本当のエースパイロット”と ありましたが、確かにそう思います。

坂井  戦前の日本海軍の訓練は本当に間違ってました。格闘戦ばかり。最後の格闘戦のことばかり訓練して、その人達が 実際に戦地に出ると、その前に撃たれる。ラバウルに新しい部隊が進出してくると、実戦座学は私です。この間、零 戦会で、「俺たちがラバウルへ行った時に空戦座学であんたが『ここでは空戦が始まったら、日華事変の時のような 呑気な飛び方をしていちゃダメだ。劣等生の飛び方をしろ。針玉旋回計の玉を吹っ飛ばして直線飛行をしている如く 見せ、コックピットを開いて風を入れたら、鼻水を横に流している。横滑りさせておれば、相手は直線飛行と思って 撃ってくるから皆外れる。ところが自分が攻撃する瞬間だけは横滑りさせたら弾も吹っ飛ぶ。その瞬間だけは玉を真 ん中にしろ』。あれを教わらなかったら、俺は命が幾つあっても足りなかった」と言われました。実戦はそんなもの です。我々は命がけで体験しながら覚えていく。教えられてもやらない者から落とされていく。 −劣等生の飛び方は現在の空中戦でも通用するところがあるんですか。

階級は、1996年12月現在
第6航空団
第303飛行班長
3等空佐
柳原忠好
(やなぎはらただよし)
第6航空団
第306飛行班長
3等空佐
宮原和也
(みやはらかずや)
第3航空団
第3戦術戦闘飛行班長
3等空佐
池添孝史
(いけぞえたかふみ)
池添  スムーズなコントロールというような面から言えば、ラダーを蹴ったりしているところは非常に劣等生の操縦でし ょう。良い飛び方は3舵が調和されてと言われます。ただ戦いにおいてはそれは非常に優等生のやり方であると思い ますが・・・。

柳原  確かにウェポンのメインがガンの時代の飛び方で、ガンから逃れるだけとなるとそうでしょう。現在はミサイルが 主になりますので、飛んでる状況をいかに変えようと、一つの赤外線を発する物体であれば、ミサイルの目ん玉から 赤外線を外さない限りはどうにもならない。擬似のフレアーまたはチャフを撒き、ハードで自分の一番赤く燃えてい る部分を隠し、相手の懐に飛び込む、シーカーの限界に飛び込んでいく、という動きが基本になると思います。

坂井  我々が零戦時代に”こんなものが欲しいな”と思ったものを使ってやってるわけだ(笑)。ただ幸か不幸か、私た ちが体験した真剣勝負を知らない。

 真剣勝負とそうでない勝負、どこが違うか。たとえば「あなた自転車に乗れますか?」「もちろん」。それなら校 庭に1メーターの幅の線を50メーター引く。そこを走る、何でもない。それを1メートルくらいの高さに上げてや る。少し気持ち悪い。それが3メーター、5メーターと高くなり、10メーターに上がったら1歩も踏み出せない。 同じ幅で同じ長さじゃないですか。なのに1歩も踏み出せない。それが実戦なんです。それを実戦を経験しない人に どう関知させるか。それが教育なんです。実戦、それは百聞は一見に如かず。間違えれば命がなくなる、それだけの ことなんです。

迎撃戦は不利?

−迎撃戦は不利だとされてますが、迎撃戦が基本となる自衛隊は不利をしょっているわけですか。

柳原  待って、来たという知らせを持って上がっていく。要するに迎え撃つ形です。航空自衛隊は基本的にそういう戦い しかできない、常に相手に先手を取られる。相手がどこを攻撃したいか、いつ攻撃したいか、何で攻撃したいか、全 て向こうの勝手ですから、こちらは何もできない。来たものに対して対処するだけ、そうなると今度は、どこをやり たいか、どういう方法でやりたいか、全て向こうの好き勝手。われわれは、全部に万全の対処は難しい。どこかに集 中しなきゃいけない。そのため必ず抜けが出る。抜けが出た時、どこまで許容できるかが問題になります。迎撃です から、来たぞ、早く行ってやってみた、囮(おとり)だった、空いて抜けられてしまった、これは絶対に認められな い話ですし、”ずっと待ってよう”と言われても、空中給油機が今のところない。燃料がなくなれば交替しなければ ならない。交替の時間を短くすればするほど、少ないパイロットで飛び続けなければならない。降りてきたらすぐ上 がる、これを繰り返さざるを得ない。どれくらい空で待てるんだろうか。

 それが相手にしてみたら、この間は見ていればいい。疲れるのを待っていればいいということになる。”段々上が るのが少なった”という時に攻撃すれば、全然問題ない。やりくりをいかにして、どこまで続けていけるかというあ たりは、基本的に迎撃戦、防空が持つ致命約な欠陥です。できるだけ時間を延ばすか、またはどれだけのエリアをカ バーできるか、どこに集中させるか、その辺の戦いになると思います。


F-15 に座る坂井氏
宮原  たとえば戦闘機が基地上を幾ら舞っても、何ら基地は壊れない。しかし戦闘爆撃機または爆撃機を1機でも入れる と、この基地はやられる。だから戦闘機は相手にしなくても、爆撃機を落とさなければならない。そんな難しいこと はできない。爆撃機を落としにいけば必ず戦闘機がかかってくる。だから、戦闘機を落として爆撃機を落とすという 戦いになる。どうしても爆撃機を落としたければ、その前にいる戦闘機をその前の段階で落とさなければならない。 池添 現在は戦闘機だけはなく防空ミサイルとの連係が重要となる。空域を定め、どこまでがミサイルの防護範囲 を選択するのも重要になってくる。これも迎撃戦の様相と思います。

坂井  日本の自衛隊は最も不利な状態で迎撃を行わなきやならない。だからこそ、最高の考え方と最善の迎撃方法を探求 している最も優れた戦闘機隊だと思います。少数で、しかも全て受け身であるという、その状態で万全を期さなきゃ ならんという信念を持った、これ以上難しい戦闘機隊が世の中にあるでしょうか。

優れたパイロットとは

−優れた戦闘機乗りとはどういう気質ですか。

坂井  積極精神。マイナスの精神を持っている人はダメです。不言実行型よりも有言実行型。有言実行型の中でも、大言 壮語でよろしい。実戦で本当に強かったのは、口も八丁、手も八丁、言ったことは命がけでも実行してみせる、とい う積極精神の持ち主でした。そういう人がエースには多かった。圧倒的に有言実行型。昔、侍は不言実行とか「沈黙 は金なり」とされていた。これは誠に退廃的な卑怯な考え方です。大言壮語、有言実行型はやっぱりそれを果たさね ばならないから研究し努力・鍛練する。だからひと癖もふた癖もある。議論をやってもただじゃ下がらん、そんな奴 のほうが強者ですね。


F1パイロット 池添3佐
池添  個人的にはハッタリでも何でもいいから言って目立ってそしてやる者、これが結構好きなんです。でも、冷静にコ ツコツと勉強し、勉強したものを一つひとつ喜んで努力していくパイロットもいます。だから有事になるとどちらが いいかはわかりませんが、それでも同じように技量が上がっている。飛行隊の雰囲気を良くしていって団結カを醸成 するためには、自分の好きなことを言って勉強もし、そのように指導をしていく、というのが、私個人の思うところ です。

宮原  私のいるF−4の部隊も大して変わらない。ただ、F−4は複座ですから、人が多い。だから若い者の人数も多い。 会話の中身であれ普段話すことであれ、若い世代の話から年寄りの世代の話まで全てが入り交じっています。賑やか と言えば賑やかです。悪く言えば収拾がつかない。ワイルドな人間もいますが、一見粗野に見えても、結構繊細な感 覚を持っている者もいる。

坂井  それはその通りです。パイロット以外の兵士は玉石混淆です。ところが現在のジェットパイロットは超エリートな んです。その中で気質がそれぞれ違っている。それを一般のレベルで考えちゃいけない。

 戦後、斎藤司令や中島隊長が「坂井さん、あのラバウルの頃、笠井中尉や坂井先任を毎日出撃させて、みるみる痩 せていくので、いつ死ぬかいつ倒れるかって気を遣っていたんですよ」なんて話が出る。「冗談じやない。やりたく て、元気一杯。痩せてるなんて思いもつかない」(笑)。段々と飛行機が足りなくなって、出撃にもれる搭乗員がい る。基地隊員が帽振れ、「しっかり頼むよ」と出撃する者を見送る。出撃にもれた搭乗員は「死んでこいよ」(笑)。 ”あいつらが死ぬと俺たちが出撃できる”というわけです。こっちもそれがわかるから、”誰が死んでくるもんか!” と離陸していった。楽しかったですよ。そのくらい明るかった、ラバウルの台南空の頃は。

宮原  やはり昔から明るいんですかね、戦闘機乗りは。

坂井  明るいですよ。第一線では出撃の時刻は決まってるし、整備員がちゃんと整備してエンジンを回して、待っている。 司令の「出発!」の命令で「行ってきます」。お互いに肩組んで「今日は久しぶりに酒の配給があるらしい。早く帰 って一杯やるべえ」と言いながら列線に向かう。”今日何機落とした”と賭けをして、酒を巻き上げたり。死ぬこと はパイロットになったときから覚悟している。自分が生まれてきたのはこれをやるためなんだ。だから我々もいつ 「死ね」と言われても、絶対に戦闘機乗りになったことを後悔しなかった。後悔しないどころか、本望なんです。

宮原  我々も例えば周囲で事故が起こっても、そんな目に遭うんならば”パイロットになるんじゃなかった”とは全く思 わない。

坂井  それが誇りなんですよ。死んでも戦闘機から降りたくない。今日「死ね」と言われても、悔いはない。今日がその 日だったと。

大空にかける想い

−それぞれ大空にかける思いがあると思うのですが。


坂井氏からラッキーマフラーの贈り物
坂井  ”次に生まれた時に何になりますか”と言われたら”ファイターパイロットになって日本国を守る”と。今でもそ う思います。

池添  私も次に生まれてくることがあったら戦闘機乗りになりたい。それだけの魅力があります。空を飛ぶ魅力、最初に この世界に入ってきた時はただ大空に憧れただけでしたが、やっていくと奥が深くて、幾らやっても極められない。 そしておぼろげながら国を守る役割を担っているという自負心です。そういう誇りも魅力もある”男の仕事だ”と思 ってます。

柳原  オリンピックに出たり、いろんな素晴らしいことをされる方がいる、これは能力がないとできない。ところがファ イターパイロットは頑張れば誰でもできる、頑張りさえすれば。自分はそんなに能力もない、頭もよくない、ただ頑 張ることはできた。最終的に私の性に合っていたのでしょう。パイロットになることができ、”人にできないことが 自分の人生の中で1回できたな”ということで満足です。

宮原  大空にかける抱負とか夢を言えば、全て「戦闘機」に集約される。”自分にしかできない”なんて大それたことは 言わない、しかし、これ以外の仕事はないだろう。自分のどんな面を見ても、善かれ悪しかれ、一度も”何で俺、こ んな仕事をやらされるんだろう”と思ったことはない。辛くても、嫌なことは考えずにこの仕事に打ち込める、魅力 を感じる仕事と思ってます。「戦闘機乗り」と人からも言われるのは”いいもんだなあ”と、凄い透明感のある言葉 です。

坂井  やっぱり戦闘機の世界っていうのは、そういう世界ですよ。

 今振り返っても、零戦は、やっぱり私の命だと思います。零戦を操縦するのが夢で、零戦自身が自分になりきってた。 分身と言うよりも、”零戦そのものと一体になった時代があった”ということです。


F-4パイロット 宮原3佐
柳原  私も坂井氏が「こっちの翼端は右手の先だよ、こっちの翼端は左手の先だよ、機首はおでこだよ」と言われてるのは、 その通りだと思います。今もそうですけど、それが感じられないのは、”今日は調子が悪いな”という時です。何も感 じない時は、自分がコックピットに座っているという感覚がない。その時は、何も怖くない。何も恐れるものはないし、 淡々とできる。”自分がこれを動かしているぞ”という感覚を持った時は、調子悪いです。

池添  1回空の楽しさを経験しますよね。空に魅了されたら、ちょっと飛ばない時期があるとどうしても空を飛びたくなる、 自由に飛び回りたくなる。飛ぶことは物凄く気分が壮快で、やっぱりやめられない。

坂井  空を駆ける魅力、それは一種の魔力かもしれない。一度人を惹きつけたら死ぬまで離してくれない。大空を自由に飛 び回る、この感覚は経験した者にしかわからない。時が流れようと、戦闘機乗りの大空にかける想いというものは何ら 変わることがない。私の乗っていた零戦も、彼ら選ばれた者が操るジェット戦闘機も、地球全部を自分が支配している、 その感覚には違いはない。こんな気分のいい世界がありますか。

 私からすれば、空を護る後輩達、そのリーダーとなって率いている君達が、今のような誇りを抱いて日本の空を守っ ている。安心して道を譲ります。


雰戦のエース坂井三郎に同行して 高山竜樹

 戦後だったが、私の小学校の頃の少年雑誌のグラビアには、まだ零戦などの活躍した戦闘機の絵が描かれていた。紫電、 雷電、隼などという飛行機もその頃知ったが、やはり零戦が最高に思えた。坂井三郎という名前を知ったのはその頃だっ た。どんなことが書かれていたか忘れてしまったが、零戦はすばらしい戦闘機であり、彼が多くの中国軍や米軍の戦闘機 を撃ち落としたエースパイロットであることを記憶させた。

 でも今まで彼のことはずっと忘れていた。遠い少年時代の記憶を手繰り寄せるかのように彼の著作を繙いた。彼がただ の戦闘機乗りでないことをこの歳になって初めて知った。そして彼がなぜ多くの人に憧れを抱かせ、尊敬され、零戦のエ ースと呼ばれるのかを遅れ馳せながら理解した。いやそれだけでなく、彼が人間の中のエースであることも私なりの人生 経験からも実感したのだった。

 あの坂井三郎に会える。こんなに人に会う期待感に胸踊らせたことはなかった。いっきに少年時代に駆け戻ったのだった。  小松基地のパイロットたち、いやすべての隊員たちが氏の来訪を心待ちにしていた様子が窺えた。三沢基地からもF‐ 1のパイロットも馳せ参じていた。

 坂井さんが食堂に案内されると、テーブルに座って待っていたパイロットたちが、一斉に直立不動の姿勢で敬礼し、氏 を迎えた。まさに軍人同士の出会いという感じだった。坂井さんも彼らの胸の内を感じたかのように、一人ひとりの相手 の目を見つめ心のこもった握手を交わす。あたかも坂井三郎がまだ現役で、後輩のパイロットたちと時間をともにするよ うな雰囲気があった。そこが台南かラバウルの基地に時間が遡っていくような錯覚を覚えた。

 パイロットたちは自分の愛機を坂井さんにいそいそと「見ていただく」という感じでエプロンに案内する。まるでこど もが友達に自分の宝物をも見せ、説明しているかのように目が輝いていた。コックピットに座った坂井さんも少年のよう だった。

 およそ航空自衛隊のパイロットで坂井さんの著書を読んだことのない人間はいないに違いない。「私の坂井三郎」とい うイメージが一人ひとりのパイロットの胸の中にある。

 座談会は、現代のファイターパイロットたちが熱い眼差しを、かの零戦のエースに投げ掛ける中ではじめられたのだった。  帰る時間が差し追ってきている。パイロットたちはもっともっと話をしたい。航空団司令が途中休憩をしたらと提案に きたが、そんな暇はない。坂井さんも熱を入れて話を続行。以心伝心、笑い合う戦闘機乗りたち。本当に先輩後輩の真の 姿を見た思いがした。

「先生お願いがあります。色紙にサインをしてください」
「私もお願いします」
「私も」

 なんと仲間から頼まれたという分も含め、ひとり何十枚も差し出す強者たち(実を言うと、小松基地にはいろんな人が 訪れたが、こんなふうに多くの人からサインをしてほしいと頼まれたのは初めてだという)。

「オイオイ、時間がないし、ご無理を言っちや駄目だぞ」という司令であったが、先にしっかりと「書」をお願いしたの は本人であったのだ。

「俺をいくつだと思っているんだ。80歳だぞ。俺をあまりいじめるなよ」などと坂井さんは冗談を飛ばし、いやな顔ひ とつせずせっせと彼らの甘えを快く引き受けていった。

 坂井氏はアメリカにもよく行くが、そこでもやはりサインをねだられるという。

 色紙にはこのような言葉が記されていた。「不撓不屈」「一念具象」「努力は勝利に通じる」

 坂井三郎という人間が、私たちを引き付けるのは戦闘機など64機を撃ち落としたエースだからでなく、そこに至るま で、人間の能力の限界へ果敢に挑む精神に打たれるからである。そして氏がいまでも尊敬され、熱い眼差しのなかに輝い ている人であることを、この小松基地で改めて知ることになった。零戦のエースと航空自衛隊のベストガイたちの出会い は私の胸の中でしっかりと焼き付けられた。私も幸福な時間を共有しえた。坂井さんも楽しい一日でしたとおっしゃって くれた。

 坂井三郎氏と広報課のF一等海尉と私は慌てるように民間機に乗り込んだ。


パイロットへの道のり

少年たちには空を飛びたいという心がある。

幸運にもその夢を実現した男たち。

もう一度生まれ変わってもやはりパイロットになりたいという。

ウイングマークを胸につけ、今日という日に命を燃やすそんな男たちがいるのです。


日本の防衛を考える情報誌[セキュリタリアン] 1996年12月号から転載

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