バイク遍歴

Web Master PROFILEに代えて 〜


 遥か太古、バイクは嫌いだった。多分に暴走族や周辺環境が影響していたと考えられる。輝かしい教育の成果である。
 しかし、長野に移り住んでからの友人「首領Y」がVT250ZE(二型FEのネイキッドモデル)を所有し、転倒した話とか事故った話などを楽しそーに話すのを聞くにつれ、随分イメージが変化した。

 実際に免許を取得したのは、18の時。東京に棲みついてからである。
 先輩がモトラを所有したことが、直接的な原因であった。
 以後、貧乏だったこともあり、どこへ行くのもバイクを使うようになる。それこそ「道で繋がっている限り」という奴である。
 山屋だったせいもあって、当時はそんな言葉はなかったが、いわゆる『ジパツー系』に分類されるであろうライダーとなる。

 中型免許を取得したのは、20を過ぎてから。
 2年間とにかく飛行時間と距離を稼いだので、一発試験3回目で取得。北海道ツーリング合わせだったので、かなりリミットギリギリであった。続いて限定解除……となるはずであったが、北海道でバイクを潰したりして資金難に陥り、金が尽きてしまった。未だに中型のままである。

 さすがに今では、仕事上のこともあり公共交通機関を使って移動するほうが圧倒的に増えたが、バイクで来ると思いこんでいる方々が後をたたない。特にネット関係で付き合いのできた連中はそう信じている。


■ホンダ モトラ <CT50JC/AD05> "ボナパルト"

(レジャー/原付→二種原に変更)

 初めて所有した単車。これがなかったら、バイクに乗ることはなかったであろう。
 事のおこりは、昔アニメックという雑誌があった。
 84年11月号の折り込みピンナップに大塚康生先生がお描きになった先生の愛車、モトラのイラストが掲載されていた。
 これがまたメーカオプションだった、レッグガード、フロントガード、フロントキャリア、サイドキャリア、マッドフラップの他に、米軍ジープ用ライフルホルダーがフロントキャリア右側に、同じく米軍ジープ用の防空燈(キャッツアイ)がフロントキャリア左上に装備され、当然色はオリーブドラブという凶悪さ。
 しびれましたねー。
 このバイクなら欲しい! と思っていたところ、なんと高校のときの先輩が持ってたのだ。しかも色はオリーブドラブで、さらにVTZ買ったので売ってくれるという。
 即行で免許を取りに出掛け、交付後すぐに受け取りに行き、モトラに乗って帰ったのだ。
 ちょっとブレーキが効かなかったり、パワーがなかったり、航続距離が短かったりしまっしたが、とても気に入っていたバイクでした。

 なんといってもアホのような積載量で、買い出し引っ越しの手伝いなど縦横無尽に活躍。ほとんど車並みでしたな。
 距離も乗りました。時間ベースだと一番乗っていましたね。長野とか京都とか名古屋とかどこでもコイツで行っていたので、後の遠距離移動がほとんど苦にならないという効能をもたらします。(今でも気分としては京都市は近所です)

 整備も自力でできたので、コストもかからず良いことづくめ。
 しかし、パワー不足はいかんともしがたかった。オーバーレブまで回しても65Kmまでしか速度がでず、緊急回避策が効かないブレーキしかなかったため、細かい事故にはよく巻き込まれた。
 というか、私が経験した交通事故の8割はそうですな。
 加速が呆れるほど鈍いせいもあり(そもそもそういうバイクではない)、一度得た速度は可能な限り落とさないという乗り方をしておりました。またエンジンを機関一杯まで回す癖はここで培われてしまったのです。

 オーバーヒート病には参りましたね。大体連続可動2時間で発生するので、いかに防止するかが課題でした。
 常に熱価のちがうプラグを数本持ち歩き、気温で付け替え、オイルは2000キロ交換。
 雨の日は調子良かったですな。自然水冷という奴で。
 あるとき、妙にオーバーヒートしなくて喜んでいたら、ぢつはエンジン直上にあるキャブのフロート室からガソリンが漏ってて、シリンダーとヘッドを『ガソリン冷却!!』してたのだ。むっちゃ焦りました。
 かなり高い確率で、路上ファイアーダンス! 世間の受けを取りつつ黄泉へツーリングに出掛けるとこでした。
 危うしあやうし。

 結局事故により大破したことを契機に、改装に乗り出す。
 オイルポンプ強化、CBR400Fオイルクーラー増設、72ccボアアップ、軽量バルブ、強化バルブスプリング、強化クラッチまでは良かったのだが、マニュアルクラッチ化で暗礁に乗り上げ、資金が尽きた。

 現在モスボール中。復活の予定は……モトラのブームが去ってから。
 今なら完成した途端、盗っていかれそうだ。


■ホンダ MBX50F <MBX50SWG/AC08>(最終型)

(ロードスポーツ/原付→二種原に変更)

 バイト先のお嬢さんが乗ってたバイクを、就職活動を契機にスクーターに乗り換えるというので引き取る。
 峠小僧仕様で、ハヤシのチャンバーが入っていて派手にうるさかった。おまけに燃費が極悪の7キロということに気づかず、大垂水峠で峠小僧もどきを繰り広げている最中にエンジンストップ。機械故障と短絡的に断定し、馴染みのバイク屋がある世田谷の大原まで10時間ほど押して帰るという奇矯な行動をする。当時愛読していたバリ伝の影響が極めて大きかった。
 もちろんただのガス欠なので、馬鹿をさらす結果となる。
 これ以後異様に燃料計算をするようになった。

91年の北海道。どこだっけ?

 その後ノーマルに戻して、懲りずに一月ほど大垂水峠で遊んだ後、当時筑波大に通っていた友人紗美に売却。紗美の中免取得にあわせて二種原に登録変更。

 後、北海道ツーリングに向けて改装中だったモトラのクラッチ周りにトラブルが出たため、一時的に借り受け北海道を3週間近く放浪する。道東で2ストオイルの入手に困った経験から、2ストマシンを敬遠する傾向が定着する。
 だが、函館港まで約20キロという地点で、いわゆる「さんきゅー事故」に巻き込まれ全損。廃車。すまん紗美。

 とても楽しいバイクだった。
 機械トラブルもなく、ブレーキも効いたし、リミッターを外していたから動力性能も文句なし。いいことづくめであった。不満のなかった数少ないバイクであった。


■ヤマハ アクティブ <CH50ET/54U>

(スクーター/原付→二種原に変更)

 モトラ改装中のためゲタがなくなってしまったので、馴染みのシロタモータースから現状渡しというか、自分で整備しろよ扱いで1万円にて購入。
 唯一のスクーターである。
 整備性が劣悪だったため、以後スクーターだけでなく、フルカバードバイクが嫌いになる。

 ブレーキも効かなかった。どんなに整備しても、レース用のシューに変えても効きがよくならなかったから、車重にブレーキ容量が追いついていなかったと思われる。
 中免所得後、書類を書き換え二種原になる。
 XLR250−BAJAの就役後、当時付き合っていた元嫁に通勤用として押しつける。


■ホンダ MBX125F <MBX125FD/JC10>

(ロードスポーツ)

 アクティブで京都へいったら、冗談じゃなく疲れたので、これまたシロタモータースで事故車を安価に譲ってもらい、フロントフォークのみ修理して(専用工具を持っていなかったのだ)、そのほかを自力で修復した。
 パワーもあり、これまたあまり文句がなかったバイクである。
 ただし、エアクリーナーがなく直キャブ仕様だったので(貧乏だったのだ)、天候の影響をもろに受けた。確実にエンジンの寿命を縮めたし。
 友人マルミヤがバイクを潰した(だったよな?)
ので、XLR−BAJAの就役を契機に譲渡。


■ホンダ XLR250R−BAJA <XLR250R3L/MD22>
     "一式陸攻"

(オフロード)

 初めて新車で手に入れた記念すべきバイク。
 というか最初で最後だ。いまのとこ。
 林道などに行くこともなかったため、完全オンロード仕様であった。

 納車3日目に冬場長野に出掛け、地蔵峠の乗越を越えた北側が全面凍結! していて転倒。火花を散らしながら100メートルぐらい滑っていくバイクを見送るという、貴重な経験をする。
 もちろん本人は無傷……というか、転倒後滑りながら起き上がって歩くという何気ぶりを発揮。よちよち歩き時分からのスキー経験が生かされております。

 このバイク、標準装備でオイルクーラーが装備されているのにもかかわらず、持病としてオーバーヒート病をもっており、巡航時エンジンストールが発生していた。
 後にフェンダーをアチャルビスに換装したら、空気流入量が増え発生しにくくなったが、なぜか雨になると左足のみ濡れるというあやしい癖がついてしまった。

 現車を入手した当時、とある事情により一年ほど金沢往還を頻繁に行っていた。
 初期のメインルートだった『長野−糸魚川ルート』(東京→下仁田→軽井沢→真田→菅平→長野→戸隠→大町→糸魚川→富山→金沢)の夜間移動を行っていると、長野市を通過後富山市内までガソリン屋が全く営業していないことが発覚、ヒドイ目に会い掛けたことから(この時は一区間だけ高速に乗ってSAで給油した)、航続距離延長のためタンクを23リットルタンクに換装する。
 これ以後、燃料満載で最低300キロの航続距離というのが絶対条件に近くなる。

 後、金沢急行最速ルート『安房ルート』(東京→松本→安房峠→神岡→富山→金沢)を発見、こちらをメインルートとするようになったことから、夜間進撃速度の向上のため、大口径110Wライトに換装。無敵になる。
(記録5時間5分・松本東京間、金沢富山間は高速を利用。ちなみに関越−北陸道全線利用では7時間40分ほど)

 やはりライトが明るいというのは、絶大な効果があるもので、夜間移動速度が25%以上向上するわ、低速な車がすぐに退いてくれるわ(そこかわり煽られるというか、勝負を挑まれるのは増えた)、荒天でも速度の低下は最小限。西国強襲ツーリングで遭遇した、時間40ミリを越える大雨(霧まで出た)の中、呉までの夜間強行移動を可能にした。

 しかし好事魔多し! 走行2万キロを越え、発動機周りや前後ショックにガタが出はじめたため、手始めにエンジンのオーバーホールを決意。手配をすませた直後のある日、横道から車に突っ込まれサブフレーム切断、スイングアーム破損。判定大破により廃車。本人入院。保険屋『日動火災』一円も払わず、ばっくれる。
 この経験により、『事故にあったら弁護士たてて交渉』というドクトリンを確立する。

 このXLR、かなりアタリを引いたらしく、機関一杯で160km/hは出たし、燃費もよく、タンク換装後は神戸まで無給油で行けたりした。
 見た目の完成度が非常に高かったためか、バブルの末期でパリダカがまだ人気だったせいなのか、結構な値段で売ってくれという人が時々出没して愉快だった。事故で潰すとわかってりゃぁ……


■ヤマハ FZR250 <3HX1>

(レーサーレプリカ)

 XLRの事故によりゲタがなくなり、補償交渉が全く進展していなかったことからパソ通友人の宇海嬢が哀れに思い、多忙から置物になっていた現車を借り受ける。
 推定4年ほどの放置であったため、やはり不動状態であった。

 狸穴氏の手助けを得て復活するも、XLRからの乗り換えではライディングスタイルが全くあわず、相性が悪かった。(それまでは過剰なリア加重で操縦しており、リアショックに相当の負担を与えていた。リアタイヤの減り方を見て狸穴氏呆れるの図。一方FZRはフロント加重重視の車体であった)また、借り物であったこともあって、飛行時間は稼がず、この10年で最低であったはずである。
 長野自動車道延伸記念長野急行の帰り、怪しい音がして百数十キロからフケなくなる。原因はバルブの叩きだったような気が……。

 後、宇海嬢ご成婚のため正規に引き取り、NS400Rの就役によりDE MAKI氏地権主張置物を経て狸穴氏へ譲渡。

 その後の活躍はFZR日記に詳しい。


レストア中で放置しているバイク

■ヤマハ フォーゲル(レジャー)

YSR80のエンジンに換装予定であった。
現在某所で朽ちている(だろう)

■ホンダ モンキー(折り畳み式初期型/Z50M レジャー)

手に入ったので、モトラの余剰部品を使って遊ぶつもりであった。
某所で惰眠をむさぼっている。


※○○急行
 気分としてツーリングではない2点間往復移動を指す。
 語源は大戦中ガダルカナル島へ行われた、帝国海軍駆逐艦によるドラム缶補給物資輸送作戦、連合軍側呼称「Tokyo Express」の邦訳『東京急行』に由来している。ちなみに日本側呼称は『鼠輸送』であった。

 NS400R TOP

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