帝国海軍/陸軍局地戦闘機「秋水」

NAVY/Army Rocket-powered Interceptor Fighter "Shusui"

制作記号:海軍J8M1 陸軍キ-200


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 戦争末期の昭和19年、戦略物資と引換えにドイツからもたらされた、対高々度爆撃機迎撃戦闘機メッサーシュミットMe163B「コメート」をもとにして試作が行われた、世界で二機種しかないロケット戦闘機

在りし日の秋水(上)

 本来、Me163をほぼそのまま量産するつもりだったのだが、設計図や各種資料を積み込んだ潜水艦が沈没したため、ポンチ絵一枚から図面を起すこととなり、この結果コメートと良く似た戦闘機になったのである。
 敗色濃い時期であり、また高々度超大型爆撃機B-29の迎撃機として、一日も早い実戦配備が望まれたことにより、陸海軍統合戦闘機として開発が進められ、機体を海軍/三菱が、ロケットエンジンを陸軍/三菱が担当した。
 ロケットエンジン特呂二号(KR10)は、いわゆるワルターロケットとよばれる種類のもので、過酸化水素水とヒドラジン/メタノール溶液を反応させ、発生した高温高圧のガスを噴射し最大推力は1500Kgを誇っていた。
 しかし、振動を与えると爆発する危険があり、さらに腐食性の強い燃料薬剤であるため、本家ドイツでも着陸時の爆発事故や、被弾し燃料タンクに穴があいたため、その溶液をかぶったパイロットが溶けてしまった(着陸してきた機体のコクピットを見たら、白骨が転がっていたという事件があった)など、運用そのものにかなり無茶があった。

 昭和20年7月7日、海軍横須賀航空隊追浜飛行場で、犬塚海軍大尉により、第一号機の試験初飛行が行われた。
 16時55分発動機に点火、11秒後に320メートル滑走し離陸、高度10メートルで車輪を投下、45度の角度をもって急上昇に入ったものの、高度350メートル付近で発動機不調の末、停止。飛行場に引き返そうと試みたが、民家を避けようとして引き起こしたため失速し、飛行場西端に不時着大破(墜落ともいう)した。パイロットは翌日に死亡した。

 墜落の原因はまぬけな理由で、燃料タンクに取りつけられた燃料パイプが、通常の飛行機のように取りつけられていたことから、まず急加速で燃料が後ろに寄ったうえに急上昇したため、燃料パイプに燃料が落ちない、いわばガス欠状態となったためであった。
 早速タンクからの燃料配管を見直し、三号機用のエンジンを組み上げているうちに終戦となった。
 三号機のパイロットは「大空のサムライ」こと坂井三郎少尉だったという。
 なお二号機は陸軍が滑空試験中に破損しており、飛行はしていない。

 生産は負け込んでいたため、恐ろしいことに試作中にもかかわらず量産命令が出されており、20年9月までに1300機あまりを製造するはずだった。しかし、実際には終戦までに5機が完成しただけであった。(むろんこの時点でまともに飛行していない)
 また練習機としてエンジンや燃料タンクなどを外したグライダー型の「秋草」(MXY7)が、試験機も含め6機が生産された。

 秋水が量産された暁には、卓越した速力と上昇力、30ミリ機銃2門という重武装で、B-29を初めとする高々度重爆撃機迎撃に威力を発揮すると期待されていた。
 ドイツでの戦歴では、燃料が尽きる前の「コメート」に追従できる戦闘機は当時存在せず、また爆撃機の迎撃機銃も速力の速さに照準が追いつかないなど、ほぼ撃墜は不可能であった。
 
このため投入初期は多大な戦果を挙げたが、燃料が尽きグライダーとなっている状態を攻撃されるようになると、一気に帰還率が落ちたうえ、着陸時の事故が多発したことから、搭乗員の消耗が著しくなり、次第に戦力にならなくなっていったという。

<秋水要目>

全幅 9.50m
全長 6.05m
自重 1505Kg
燃料 2030Kg(甲液1159L/乙液536L)
最大速度 900Km/h(約マッハ0.74)
上昇力 高度12000mまで3分50秒
動力航続時間 約5分(標準的な戦闘機動をした場合)
武装 30ミリ機銃×2(各弾丸50発)

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